集合写真
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ボナパルト家の人々
■父 シャルル・マリ・ボナパルト
1746-1785 39歳没
*コルシカ島のフランス貴族

■母 マリア・レティツィア・ボナパルト
1750-1836 86歳没
*ナポレオンが皇帝を目指すと反対し戴冠式には出席しなかった。
有名な戴冠式の絵にはナポレオンの命令によって母が描かれている。
皇太后の称号を得ても他の家族のように贅沢をせず質素に生活した。
彼女はフランスに移り住んでからも終生コルシカ語を使い続けた。


●長男 ジョゼフ
●二男 ナポレオン
●三男 リュシアン
●四男 ルイ→子はナポレオン3世
●五男 ジェローム
●長女 エリザ
●二女 ポーリーヌ
●三女 カロリーヌ
=========================
■長男 ジョゼフ
1768-1844 76歳没
ジョゼフはきょうだい達の中で一番ナポレオンを最後まで補佐した。
一時スペイン国王ホセ1世として統治した。
ナポレオンが失脚した時にはスイスに亡命。
百日天下で一度フランスに戻るが、
再度失脚した時はアメリカにのフィラデルフィアに逃れた。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。

■妻 マルセイユの絹商人の娘ジュリー・クラリー 妹はノルウェー王妃デジレ・クラリー
1771-1845 73歳没


●女子 ゼナイード・レティシア・ジュリー
シャルル・リュシアン・ボナパルトとイトコ結婚
●女子 シャルロット・ナポレオーヌ
ナポレオン・ルイ・ボナパルトとイトコ結婚
=========================
■二男 ナポレオン

=========================
■三男 リュシアン
1777-1820 65歳没
リュシアンは兄のクーデターを成功させた立役者だったが、
ナポレオンがエトルリア女王と結婚させるつもりだったのに、
勝手に平民の女性と結婚したためナポレオンと不和となった。
前妻の死後またも家族の承諾なしに再婚したため、ナポレオンは激怒し兄弟は決裂した。
ルシアンはローマに出立し、後にローマの郊外で生涯を閉じた。

■前妻 宿屋の娘 クリスティーヌ・ボワイエ 死別
1771-1800 28歳没

■後妻 両替商の未亡人 アレクサンドリーヌ
1778-1855 77歳没


●後妻の子 シャルル・リュシアン
ゼナイード・レティシア・ジュリーとイトコ結婚
●後妻の子 ルイ・リュシアン
彫刻家の娘マリーア・アンナ・チェッキと死別、
クレマンス・リシャールと再婚
●後妻の子 ピエール・ナポレオン
エレオノール=ジュスティーヌ・リュフランと結婚
●後妻の子 アントワーヌ
マリー=アン・カルディナーリと結婚
●前妻の子 シャルロット 愛称ロロット
イタリア貴族マリオ・ガブリエッツ公爵と死別
イタリア貴族セッチミーノ・チェンタモーリと再婚離婚
●前妻の子 クリスティーヌ・エジプタ 愛称リリ
スウェーデン貴族アルヴィド・ポッセと離婚、
イギリス人ダドリー・クライトン=スチュアート侯爵と再婚
●後妻の子 レティチア・クリスティーヌ
イギリス人政治家トーマス・ワイズと結婚
●後妻の子 ジャンヌ
イタリア貴族オノレ・ オラノティ侯爵と結婚
●後妻の子 マリー・アレクサンドリーヌ
イタリア貴族ヴィンチェンツォ・ヴァレンティーニ伯爵と結婚
=========================
■四男 ルイ→子はナポレオン3世
1778-1846 68歳没
ルイはナポレオンの命令によりオルスタンスと結婚するが、互いに愛を感じられない不幸な結婚であった。
ルイは結婚前から性病と被害妄想的な神経衰弱に悩まされていた。
知的で教養あるオルタンスとも馬が合わなかった。
同居生活は4ヶ月、その後長い別居生活の後に離婚。
オランダ王に命じられるが、精神的の追いつめられてオランダからボヘミアに逃れ、
最後はトスカナで生涯を閉じた。

■妻 ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス 離婚
1783-1837 54歳没


●男子 ナポレオン・ルイ
シャルロット・ナポレオーヌとイトコ結婚
●男子 シャルル・ルイ 皇帝ナポレオン3世
=========================
■五男 ジェローム
1784-1860 75歳没
ジェロームは軽はずみで遊び好きな性格だった。
家族の承諾なしにエリザベスと結婚したため離婚させられる。
ナポレオンはジェロームをヴュルテンベルク王女カタリーナと再婚させる。
ドイツの傀儡国家ウエストファリア王国の国王に命じられるが、
政治的無関心、浪費、不品行によるスキャンダルとナポレオンの失脚により
ヨーロッパ各地を流転することになる。
最後はパリで生涯を閉じた。

■前妻 アメリカの富豪令嬢エリザベス 離婚
1785-1879 94歳没

■後妻 ヴュルテンベルク王女カタリーナ
1783-1835 52歳没

●前妻の子 ジェローム
●後妻の子 ナポレオン・ジョゼフ 通称ナポレオン公
イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の娘マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイアと結婚
●後妻の子 マチルド
ロシア富豪アナトーリー・デミドフと離婚、
詩人クロディウス・ポプランと再婚
=========================
■長女 エリザ
1777-1820 43歳没
美人ではなかったが知的な女性で、文芸と演劇を愛しサロンを作った。
そして、多くの芸術家を愛人として囲った。
トスカナ大公妃の称号を与えられフィレンツェの宮殿に住んだ。
ナポレオンの失脚後はトリエステに逃れた。
最後はトリエステのヴィラで生涯を閉じた。


■夫 軍人バチョッキ
1762-1841 79歳没

●女子 エリザ・ナポレオーヌ・バチョッキ
イタリア貴族フィリッポ・マッツォレーニ伯爵と離婚
=========================
■二女 ポーリーヌ
1780-1825 44歳没
ポーリーヌは美人で有名であった。
10代の頃から男遊びがすごかったので、スキャンダルを恐れたナポレオンは結婚させることにする。
1797年17歳のポーリーヌはナポレオンが選んだ部下ルクレール将軍25歳と結婚する。
夫妻はハイチに赴任するが、ルクレールは黄熱病で死亡する。
前夫と死別後パリに戻ったポーリーヌはまた男遊びを始めたので、
ナポレオンは莫大な財産を持つボルゲーゼ侯爵と結婚させることにする。
1803年23歳のポーリーヌは28歳のボルゲーゼ侯爵と再婚してローマに住む。
ところがボルゲーゼ侯爵が同性愛者だったためポーリーヌは復讐として彫刻家に自分の裸体を造らせた。
ナポレオンは怒り狂ったが、彫刻でPRした彼女の元にはたくさんの男性が集まり情事を楽しんだ。
ポーリーヌはナポレオンをよく怒らせたが、彼がセントヘレナ島へ流罪になった時セントヘレナまで会いに行こうとしたのは三姉妹の中でポーリーヌだけだった。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。


■前夫 シャルル・ルクレール将軍 死別
1772-1802 30歳没

■後夫 イタリア貴族カミッロ・ボルゲーゼ侯爵
1775-1832 56歳没

=========================
■三女 カロリーヌ
1782-1839 57歳没
ナポレオンの片腕と言われた将軍ミュラと結婚、
ミュラは一時国王ジョアッキーノ1世としてナポリを統治した。
しかしナポリ王国を中心としてイタリア全土を統一しようとしてナポレオンに反旗を翻し、処刑される。
カロリーヌはメッテルニッヒの助力でオーストリアに逃れ、最後はフィレンツェで生涯を閉じた。


■夫 軍人ミュラ
1767-1815 48歳没

★愛人メッテルニヒ
1773-1859 86歳没
●男子 アシル
アメリカ人キャサリン・ウィリス・グレイと結婚
●男子 リュシアン
アメリカ人キャロライン・ジョージナ・フレイザーと結婚
●女子 レティツィア
イタリア貴族グイド・タッデオ・ペポーリ侯爵と結婚
●女子 ルイーズ
イタリア貴族ジュリオ・ラスポーニ伯爵と結婚
=========================
ナポレオンのきょうだいは戦死や処刑という非業の死を遂げた者はいない。
彼らはナポレオンと運命共同体というわけではなく、ヨーロッパ各地の王侯貴族と独自に親交を持っていたことが生涯を全うできた理由であろう。
1746-1785 39歳没
*コルシカ島のフランス貴族

■母 マリア・レティツィア・ボナパルト
1750-1836 86歳没
*ナポレオンが皇帝を目指すと反対し戴冠式には出席しなかった。
有名な戴冠式の絵にはナポレオンの命令によって母が描かれている。
皇太后の称号を得ても他の家族のように贅沢をせず質素に生活した。
彼女はフランスに移り住んでからも終生コルシカ語を使い続けた。


●長男 ジョゼフ
●二男 ナポレオン
●三男 リュシアン
●四男 ルイ→子はナポレオン3世
●五男 ジェローム
●長女 エリザ
●二女 ポーリーヌ
●三女 カロリーヌ
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■長男 ジョゼフ
1768-1844 76歳没
ジョゼフはきょうだい達の中で一番ナポレオンを最後まで補佐した。
一時スペイン国王ホセ1世として統治した。
ナポレオンが失脚した時にはスイスに亡命。
百日天下で一度フランスに戻るが、
再度失脚した時はアメリカにのフィラデルフィアに逃れた。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。

■妻 マルセイユの絹商人の娘ジュリー・クラリー 妹はノルウェー王妃デジレ・クラリー
1771-1845 73歳没


●女子 ゼナイード・レティシア・ジュリー
シャルル・リュシアン・ボナパルトとイトコ結婚
●女子 シャルロット・ナポレオーヌ
ナポレオン・ルイ・ボナパルトとイトコ結婚
=========================
■二男 ナポレオン

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■三男 リュシアン
1777-1820 65歳没
リュシアンは兄のクーデターを成功させた立役者だったが、
ナポレオンがエトルリア女王と結婚させるつもりだったのに、
勝手に平民の女性と結婚したためナポレオンと不和となった。
前妻の死後またも家族の承諾なしに再婚したため、ナポレオンは激怒し兄弟は決裂した。
ルシアンはローマに出立し、後にローマの郊外で生涯を閉じた。

■前妻 宿屋の娘 クリスティーヌ・ボワイエ 死別
1771-1800 28歳没

■後妻 両替商の未亡人 アレクサンドリーヌ
1778-1855 77歳没


●後妻の子 シャルル・リュシアン
ゼナイード・レティシア・ジュリーとイトコ結婚
●後妻の子 ルイ・リュシアン
彫刻家の娘マリーア・アンナ・チェッキと死別、
クレマンス・リシャールと再婚
●後妻の子 ピエール・ナポレオン
エレオノール=ジュスティーヌ・リュフランと結婚
●後妻の子 アントワーヌ
マリー=アン・カルディナーリと結婚
●前妻の子 シャルロット 愛称ロロット
イタリア貴族マリオ・ガブリエッツ公爵と死別
イタリア貴族セッチミーノ・チェンタモーリと再婚離婚
●前妻の子 クリスティーヌ・エジプタ 愛称リリ
スウェーデン貴族アルヴィド・ポッセと離婚、
イギリス人ダドリー・クライトン=スチュアート侯爵と再婚
●後妻の子 レティチア・クリスティーヌ
イギリス人政治家トーマス・ワイズと結婚
●後妻の子 ジャンヌ
イタリア貴族オノレ・ オラノティ侯爵と結婚
●後妻の子 マリー・アレクサンドリーヌ
イタリア貴族ヴィンチェンツォ・ヴァレンティーニ伯爵と結婚
=========================
■四男 ルイ→子はナポレオン3世
1778-1846 68歳没
ルイはナポレオンの命令によりオルスタンスと結婚するが、互いに愛を感じられない不幸な結婚であった。
ルイは結婚前から性病と被害妄想的な神経衰弱に悩まされていた。
知的で教養あるオルタンスとも馬が合わなかった。
同居生活は4ヶ月、その後長い別居生活の後に離婚。
オランダ王に命じられるが、精神的の追いつめられてオランダからボヘミアに逃れ、
最後はトスカナで生涯を閉じた。

■妻 ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス 離婚
1783-1837 54歳没


●男子 ナポレオン・ルイ
シャルロット・ナポレオーヌとイトコ結婚
●男子 シャルル・ルイ 皇帝ナポレオン3世
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■五男 ジェローム
1784-1860 75歳没
ジェロームは軽はずみで遊び好きな性格だった。
家族の承諾なしにエリザベスと結婚したため離婚させられる。
ナポレオンはジェロームをヴュルテンベルク王女カタリーナと再婚させる。
ドイツの傀儡国家ウエストファリア王国の国王に命じられるが、
政治的無関心、浪費、不品行によるスキャンダルとナポレオンの失脚により
ヨーロッパ各地を流転することになる。
最後はパリで生涯を閉じた。

■前妻 アメリカの富豪令嬢エリザベス 離婚
1785-1879 94歳没

■後妻 ヴュルテンベルク王女カタリーナ
1783-1835 52歳没

●前妻の子 ジェローム
●後妻の子 ナポレオン・ジョゼフ 通称ナポレオン公
イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の娘マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイアと結婚
●後妻の子 マチルド
ロシア富豪アナトーリー・デミドフと離婚、
詩人クロディウス・ポプランと再婚
=========================
■長女 エリザ
1777-1820 43歳没
美人ではなかったが知的な女性で、文芸と演劇を愛しサロンを作った。
そして、多くの芸術家を愛人として囲った。
トスカナ大公妃の称号を与えられフィレンツェの宮殿に住んだ。
ナポレオンの失脚後はトリエステに逃れた。
最後はトリエステのヴィラで生涯を閉じた。


■夫 軍人バチョッキ
1762-1841 79歳没

●女子 エリザ・ナポレオーヌ・バチョッキ
イタリア貴族フィリッポ・マッツォレーニ伯爵と離婚
=========================
■二女 ポーリーヌ
1780-1825 44歳没
ポーリーヌは美人で有名であった。
10代の頃から男遊びがすごかったので、スキャンダルを恐れたナポレオンは結婚させることにする。
1797年17歳のポーリーヌはナポレオンが選んだ部下ルクレール将軍25歳と結婚する。
夫妻はハイチに赴任するが、ルクレールは黄熱病で死亡する。
前夫と死別後パリに戻ったポーリーヌはまた男遊びを始めたので、
ナポレオンは莫大な財産を持つボルゲーゼ侯爵と結婚させることにする。
1803年23歳のポーリーヌは28歳のボルゲーゼ侯爵と再婚してローマに住む。
ところがボルゲーゼ侯爵が同性愛者だったためポーリーヌは復讐として彫刻家に自分の裸体を造らせた。
ナポレオンは怒り狂ったが、彫刻でPRした彼女の元にはたくさんの男性が集まり情事を楽しんだ。
ポーリーヌはナポレオンをよく怒らせたが、彼がセントヘレナ島へ流罪になった時セントヘレナまで会いに行こうとしたのは三姉妹の中でポーリーヌだけだった。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。


■前夫 シャルル・ルクレール将軍 死別
1772-1802 30歳没

■後夫 イタリア貴族カミッロ・ボルゲーゼ侯爵
1775-1832 56歳没

=========================
■三女 カロリーヌ
1782-1839 57歳没
ナポレオンの片腕と言われた将軍ミュラと結婚、
ミュラは一時国王ジョアッキーノ1世としてナポリを統治した。
しかしナポリ王国を中心としてイタリア全土を統一しようとしてナポレオンに反旗を翻し、処刑される。
カロリーヌはメッテルニッヒの助力でオーストリアに逃れ、最後はフィレンツェで生涯を閉じた。


■夫 軍人ミュラ
1767-1815 48歳没

★愛人メッテルニヒ
1773-1859 86歳没
●男子 アシル
アメリカ人キャサリン・ウィリス・グレイと結婚
●男子 リュシアン
アメリカ人キャロライン・ジョージナ・フレイザーと結婚
●女子 レティツィア
イタリア貴族グイド・タッデオ・ペポーリ侯爵と結婚
●女子 ルイーズ
イタリア貴族ジュリオ・ラスポーニ伯爵と結婚
=========================
ナポレオンのきょうだいは戦死や処刑という非業の死を遂げた者はいない。
彼らはナポレオンと運命共同体というわけではなく、ヨーロッパ各地の王侯貴族と独自に親交を持っていたことが生涯を全うできた理由であろう。
モンテネグロ王国の姉妹
◆父 ニコラ1世 モンテネグロ国王
1841-1921
■母 ミレナ・ヴコティッチ ペータル・ヴコティッチ公爵の娘
1847-1923
●リュビツァ
セルビア国王ペータル1世と結婚
●ミリツァ
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチと結婚
●スタナ
ロイヒテンベルク公爵ゲオルギーと結婚離婚、ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
●王太子 ダニーロ
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
●イェレナ
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と結婚
●アナ
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフと結婚
●ミルコ
グラホヴォ=ゼタ大公
●クセニヤ
未婚
●ヴィエラ
不明
●ペータル
ザフムリエ大公
●リュビツァ→ゾルカ・カラジョルジェヴィチ●実子3人→子アレクサンダル1世はユーゴスラビア国王
1864-1890
セルビア国王ペータル1世
1844-1921
●ミリツァ●実子3人
1866-1951
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチ
1864-1931
●スタナ→アナスタシア・ニコラエヴナ●前夫に実子3人
1868-1935
■前夫 ロイヒテンベルク公ゲオルギー・マクシミリアノヴィチの後妻・離婚
1852-1912
■後夫 ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
1856-1929
●ダニロ 王太子●実子ナシ
1871-1939
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
1880-1946
●イェレナ●実子5人
1873-1952
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
1869-1947
●アナ●実子ナシ
1874-1971
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフ
1861-1924
●ミルコ●実子1人
1879-1918
タリヤ・コンスタンティノヴィチ 熟年離婚
1882-1950
●クセニヤ●未婚
1881-1960
●ヴェラ●不明
1887-1927
●ペータル●実子ナシ
1889-1932
ヴァイオレット・ウェグナー
-1960
1841-1921
■母 ミレナ・ヴコティッチ ペータル・ヴコティッチ公爵の娘
1847-1923
●リュビツァ
セルビア国王ペータル1世と結婚
●ミリツァ
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチと結婚
●スタナ
ロイヒテンベルク公爵ゲオルギーと結婚離婚、ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
●王太子 ダニーロ
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
●イェレナ
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と結婚
●アナ
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフと結婚
●ミルコ
グラホヴォ=ゼタ大公
●クセニヤ
未婚
●ヴィエラ
不明
●ペータル
ザフムリエ大公
●リュビツァ→ゾルカ・カラジョルジェヴィチ●実子3人→子アレクサンダル1世はユーゴスラビア国王
1864-1890
セルビア国王ペータル1世
1844-1921
●ミリツァ●実子3人
1866-1951
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチ
1864-1931
●スタナ→アナスタシア・ニコラエヴナ●前夫に実子3人
1868-1935
■前夫 ロイヒテンベルク公ゲオルギー・マクシミリアノヴィチの後妻・離婚
1852-1912
■後夫 ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
1856-1929
●ダニロ 王太子●実子ナシ
1871-1939
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
1880-1946
●イェレナ●実子5人
1873-1952
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
1869-1947
●アナ●実子ナシ
1874-1971
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフ
1861-1924
●ミルコ●実子1人
1879-1918
タリヤ・コンスタンティノヴィチ 熟年離婚
1882-1950
●クセニヤ●未婚
1881-1960
●ヴェラ●不明
1887-1927
●ペータル●実子ナシ
1889-1932
ヴァイオレット・ウェグナー
-1960