直球洋館

2024年

2005/03

女王エリザベス2世の子


●チャールズ 次代国王
スペンサー伯爵令嬢ダイアナと結婚離婚、一般人カミラ・シャンドと再婚
●アン    一般人マーク・フィリップスと結婚離婚、一般人ティモシー・ローレンスと再婚
●アンドルー 一般人セーラ・ファーガソンと結婚・離婚
●エドワード 一般人ソフィー・ヘレン・リース=ジョーンズと結婚




●アン 一般人マーク・フィリップスと結婚離婚、一般人ティモシー・ローレンスと再婚

1989年
19890218

◆女王エリザベス2世 先代ジョージ6世の娘
1926- 27歳即位

■夫 フィリップ←フィリッポス 夫26歳&妻21歳で結婚 ギリシャ王子アンドレオスの息子
1921-


エリザベス一家は父の母校ダートマス海軍大学を訪問した。
この時の案内役がフィリップ・マウントバッテン海軍中尉だった。
18歳の長身で金髪のハンサムなフィリップに13歳のエリザベスは一目惚れ。初恋だった。
フィリップはギリシャ王子であったがクーデターのため一家でイギリスに亡命していた。
フィリップはエリザベスに求婚した。
エリザベスは両親にも政府にも無断で承諾した。
たとえ夫が浮気をしようが隠し子の噂が立とうが初恋を遂げた女王は見て見ぬふりを続けた。





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●チャールズ 次代国王
スペンサー伯爵令嬢ダイアナと結婚離婚、一般人カミラ・シャンドと再婚
●アン    一般人マーク・フィリップスと結婚離婚、一般人ティモシー・ローレンスと再婚
●アンドルー 一般人セーラ・ファーガソンと結婚・離婚
●エドワード 一般人ソフィー・ヘレン・リース=ジョーンズと結婚

国王ジョージ6世の子


●エリザベス2世 次代女王 ギリシャ王子フィリッポスと結婚→フィリップ



●マーガレット
1930-2002 72歳没
カメラマンのアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚・離婚
1930-




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1955年
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1960年
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◆国王ジョージ6世 先代エドワード8世の弟
1895-1952 41歳即位 56歳没


幼少期のジョージは言葉が遅く6~7歳まできちんとした会話ができなかった。
生来左利きであったことから利き腕を右手に矯正するよう指導されることとなった。
食事の際は左手に長いひもを結び付けられ左手を使った場合には父から乱暴に引っ張られた。
字を書く際も無理矢理右手で書くよう家庭教師達から矯正され、加えてX脚だったことから父の方針により9歳頃から脚の形を矯正するために1日に数時間ギプスを着用することも強制された。
ギプスを使用する痛みに耐え切れず泣き叫ぶようなこともしばしばあり、幼いジョージははこれらの虐待に起因する過度のストレスから重度の吃音に悩まされることとなる。
病弱で生来左足が不自由であったが活発でテニスを趣味とする一面もあった。


■妻 エリザベス・ボーズ=ライアン ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの娘
1900-2002 23歳結婚 101歳没


3度の求婚の末に結婚。
彼女は王室に嫁ぐことに不安を持っていたため求婚を断り続けていたが、姑メアリー王妃の後押しもあって3度目のプロポーズでイエスと答えた。
ジョージ6世は社交界の花形だった兄エドワード8世とは対照的で内向的な性格だったが、大らかな性格のエリザベスと出会ったことで少しずつ改善されていった。
大らかで優雅な雰囲気を持つエリザベス王妃は国民から愛され、これによりジョージ国王の人気も非常に高いものとなった。
兄エドワード8世がウォリス・シンプソン夫人と結婚するために退位したため、急遽国王として即位しなければならなくなった。
生来引っ込み思案な性格だったジョージはこの事態を最も恐れていた。
病弱で内気だった彼は即位を嫌がったが、国王になった以上は責任を果たそうと誠実に努力した。
エリザベスも夫の吃音に言語障害の専門医をつけて共に克服に取り組んだ。
第二次世界大戦中ジョージ6世とエリザベス王妃はイギリスの抗戦の象徴とされた。
ドイツ軍からバッキンガム宮殿が9回も爆撃を受けたにもかかわらず、国王夫妻はロンドンから避難することを拒んだ。
王妃は「私の子供たちは私のもとを離れません。私は国王陛下のもとを離れません。そして国王陛下はロンドンをお離れになりません」と王妃はきっぱりと言った。
二人は第二次世界大戦中のイギリス国民を大いに勇気づけた。
ヒトラーも彼女を「ヨーロッパでもっとも危険な女性」と呼んだ。
国王夫妻は疲弊した国土を戦勝へと「精神的」に導いたと言っても過言ではない。

ジョージ6世は激務に追われ続け、国王としての責務と重圧から健康を崩すようになった。
加えてヘビースモーカーであったことから肺ガンになり、完全に健康を回復することが出来なくなってしまった。
王妃は夫が急逝した原因の1つに身体が生まれつきあまり頑丈ではないのに王位を継ぐことになったうえ、夫の意向を無視してナチス・ドイツと親交を結び心身とも疲労させたとして、エドワード8世夫妻を終生許さなかった。
競馬とジンが大好きな皇太后は101歳まで長生きし、クイーン・マザーと呼ばれ国民から愛された。


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●長女 エリザベス2世 次代女王 ギリシャ王子フィリッポスと結婚→フィリップ
●二女 マーガレット  カメラマンのアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚・離婚 


エリザベス2世王女とマーガレット王女の二女に恵まれる。
二人の王女はともに帝王切開で生まれた。
幼少時から厳格な両親に育てられたためジョージ6世は自分の家族を大事にした。
王妃は長女エリザベスとフィリップの結婚にはフィリップの素行や素性に不満を持ち、フィリップとの確執は根深い物があった。


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■父 クロード・ボーズ=ライアン 14代ストラスモア=キングホーン伯爵
■母 セシリア・キャヴェンディッシュ=ベンティンク

●パトリック 15代伯爵
●ジョン   クリントン男爵令嬢フェネラと結婚
娘はパトリシア・アン・ネリッサ・キャサリンの4人
●エリザベス 国王ジョージ6世の妃


1987年
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◆国王エドワード8世●実子ナシ 先代ジョージ5世の子
1896-1986 40歳即位 89歳没


*エドワード8世も長すぎる皇太子時代に悩んだクチだった。
父王と違って狩猟は好まなかったので、日常生活の大半を乗馬・ダンス・ゴルフ・テニスなどの暇潰しに費やすことになった。
本来彼は忙しく働いていることが好きだったので始終退屈していた。


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エドワード8世が側近ゴッドフリー・トマスに語った言葉

こうしてただずっと皇太子でいることに本当に心底からうんざりしているんだ。これでは神経がすりへって混乱するばかりだ。私はね、時々自分が気が狂うんじゃないかと思うことがあるよ。
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父王ジョージ5世の証言

あれの友人にはまともな紳士は一人もいない。
ちゃんとした人々と付き合った経験もない。もう40歳になるのに。
私が死んだらあれは12ヶ月以内に破滅するだろう。
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エドワードの人生は父の予言どおりになる。


■妻 ウォリス・シンプソン バツ2のアメリカ人 夫41歳&妻43歳で結婚
1894-1972 41歳結婚 77歳没


*ウォリス・ウォーフィールドとして生まれるが、すぐに父親が病死。
両親ともにボルチモアの裕福な家庭の出身だったので、母子は親族の援助によってなんとか体面を保つ苦しい生活が続く。

*20歳でアメリカ海軍のウィンフィールド・スペンサー・ジュニアと結婚離婚、32歳でイギリス人の船舶会社社長アーネスト・シンプソンと略奪再婚離婚、43歳でエドワードと再々婚、77歳没。

*サーの称号を持つ有名写真家セシル・ビートンによると、シンプソン夫人は美人でなく、キーキーする声で、口やかましかったと言う。

*ウォリスは男性を支配したがる利己的なタイプだったのでエドワードはうってつけのカモだった。
愛人テルマがアメリカに行っている間に二人は親密な関係になり同棲を始めた。
エドワードの親友で大臣でもあったダフ・クーパーは「彼女は冷酷な女で、彼を愛してなどいなかった」と証言している。
ウォリスはエドワードを子供のように扱い、ときどき人前で叱りつけたりもした。
エドワードはウォリスに奴隷のような献身で応えた。
彼女に金や宝石を雨あられと注いだ。
エドワード8世は内外を問わず大変な人気者であった。
ヨーロッパでも屈指のプレイボーイとしても有名で14年間愛人関係にあったフリーダ・ダドリー・ウォード議員夫人をはじめとして貴族令嬢から芸能人まで交際相手は幅広かった。
そして愛人の一人テルマ・ファーネスからアメリカ人女性ウォリス・シンプソン夫人を紹介される。
母親からの愛情に恵まれないまま育ったことから年上の女性や人妻からの温もりを求めるエドワードにとって、自由奔放かつ博識で母性を感じさせるウォリスの存在は大変に魅力的であり、彼女との結婚を真剣に検討するようになる。
しかしウォリスは離婚歴のある人妻であった。
多くの国民がこの交際に反発した。
彼女は抜群の美貌ではなく小柄だったがお洒落や会話術、ダンスなどに人一倍の努力を払っていたこともあって男性たちを魅了するタイプだった。
ウォリスは粗暴なアメリカ海軍中尉の夫を捨て船舶会社社長のイギリス人アーネスト・シンプソンと再婚しイギリスへやって来た。
社交界に顔のきく夫のおかげでシンプソン夫人はイギリスの社交界にデビューしすぐに花形となった。
そしてエドワード皇太子と出会った。
チヤホヤすることなく思うことを言葉にするシンプソン夫人にエドワードは新鮮な魅力を感じた。
伝統と格式の中で生きてきたエドワードにとって自由で奔放なウォリスはまるでアメリカからやってきた自由の風のようだった。
その後のエドワードはどこにでも彼女を連れ歩き高価な物を好きなだけ買い与えエドワードの邸宅で同棲するに至った。
シンプソン氏にも愛人がおり互いに干渉しない間柄だった。
しかしエドワードはパーティの席上でシンプソン氏に「さっさと離婚しろ」と詰めより、殴り倒すという暴挙に出た。
この国王にあるまじき醜態が原因となり議会が開かれた。
エドワードは王冠か恋かの選択を迫られ退位を決断する。
「王である前に一人の男性であり、自分の心のままに従いたい。王冠を捨てるのは愛する彼女の助けと支えなしでは王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能であるからだ」という声明をBBC放送を通じて国民に伝えて退位した。
1年に満たない在位であった。
この一連のスキャンダルは「王冠を捨てた恋」と呼ばれる。

退位してウインザー公夫妻となった二人はパリに新居をかまえた。
当初エドワードはフランスでしばらくほとぼりを冷ました後はまたイギリスに戻って元通りの生活できると思っていたようだ。
ところが国王ジョージ6世から「許可を得ずに帰国するようなことがあれば王室からの手当を打ち切る」と言われたため実現には至らなかった。
以来王室とは疎遠となり特に母メアリー王太后やジョージ6世王妃エリザベスとは絶縁状態にあった。
エリザベス王妃は病弱なうえに吃音症や脚の障害を抱える夫を無理矢理王位につかせたエドワード夫妻を憎んだ。
一生このままだという事実がわかったエドワードは自分たちに好意的なナチス・ドイツと急激に親しくなる。
ナチス・ドイツに協力してドイツがイギリスを征服した後イギリス国王として返り咲こうと計画した。
「この戦争が終わり、ヒトラーがアメリカを撃破した後、われわれの出番となる。」と語っていた。
ナチス・ドイツ寄りの発言や行動が目立つようになった夫妻に慌てたイギリス政府はエドワードをバハマ総督に任命して2人をヨーロッパから離した。
夫人はバハマを嫌い特注のエルメスのバッグを持ち毛皮や宝石で飾り立てて飛行機で何度もアメリカへ買い物をしに行く姿は戦時下で苦難にあえぐ人々の批判の的となった。
第二次世界大戦後はフランスに戻り半ば引退のような生活を送った。
エドワードは幼少期に母の愛情が少なかった体験から長く神経性胃炎と躁鬱病を患っていた。
また大人になってからも何か自分に気に入らないことがあるとすぐに大声で泣き叫ぶなど年不相応に幼い面が多く見られたという。

60年経って「王冠を捨てた恋」の真実が暴露された。
1995年に第二次世界大戦中イギリス軍によって押収されたドイツの外交文書の一部が公表された。
その資料からシンプソン夫人はナチスの駐英大使リッベントロップと深い関係にあったことが明るみになった。
当時のイギリス政府がシンプソン夫人との結婚に反対したのは、夫人の離婚歴ではなくナチスとの関係を問題視したためだった。
エドワードとの結婚後も愛人関係はは続いており、イギリスを始めとする連合国の機密情報をナチスに漏らしていた可能性が高い。
さらに2002年にアメリカのFBI文書が公開されシンプソン夫人はドイツ諜報部の工作員だったという事実が明かされた。
第二次世界大戦中夫妻がバハマ提督に任命されたのも、イギリス政府が夫人の背後にいるナチスを警戒したためであった。
またこの情報に基づきルーズベルト大統領は夫妻がアメリカを訪れた際に常にFBIの監視下に置いていた。

二人は永遠に「王冠を捨てた恋」というロマンスのカップルを演じ続けなければならない。
ロマンスのカップルは離婚も出来ず、愛人を作って情事を楽しむということも出来ない。
エドワードは王冠を捨てたことを後悔していた。
だから自分を王として扱ってくれる国を好んだ。
晩年の二人は酒に溺れていた。


1922年皇太子時代に来日
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1936年12月10日『イブニングニュース』
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1984年
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1986年
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※エドワード8世は恋愛相手に母親のような役割を求めたため、子供もいるような人妻が多かった。


★愛人フリーダ・ダドリー・ウォード 議員夫人
1894-1983 89歳没



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★愛人セルマ・モーガン ファーネス子爵夫人
1904-1970 66歳没

モーガン三姉妹はアメリカ社交界の花形だった。
長女コンスエロは政治家ベンジャミン・ソーと結婚、セルマと双子のグロリアはヴァンダービルト財閥のレジナルドと結婚、セルマは高齢のファーネス子爵と結婚した。
ファーネス子爵はイギリスに住んでいたが、セルマは気ままにアメリカとイギリスを往復して遊んでいた。
セルマは皇太子エドワード8世の愛人になるが、互いに束縛せず火遊びを続けた。
セルマは6週間の予定でアメリカに行く前、自分の取り巻きの中でも一番不美人のシンプソン夫人を皇太子に紹介した。
帰って来たセルマは皇太子とウォリスが出来上がっていて驚いた。
しかしセルマもアリ・カーン王子との新しい情事が始まっていたので、皇太子はシンプソン夫人に譲った。

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