直球洋館

2024年

2003/01

国王フランソワ1世の子供


すべて前妻の子
●フランソワ 王太子 早逝
●アンリ2世 次代国王
●マドレーヌ 
スコットランド王ジェームズ5世の前妻・本人死別
●マルグリット 
サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚




●フランソワ 王太子 早逝
1518-1536 18歳没





●アンリ2世 次代国王





●マドレーヌ 
1520-1537 17歳没
スコットランド王ジェームズ5世の前妻 本人死別
1512-1542 30歳没







●マルグリット 
1523-1574 51歳没
サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚
1528-1580 52歳没



<国王フランソワ1世の愛人>




★愛人メアリー・ブーリン イギリス人
1499-1543 44歳没


イギリスのメアリー王女の女官で、メアリーがルイ12世と結婚した際にともにフランスに渡った。後にフランソワ1世の女官となる。「誰とでもやる偉大なる売春婦」と呼ばれていた。イギリスに帰国してからはイギリス国王ヘンリー8世の愛人になった。その後ヘンリー8世の寵愛は妹アン・ブーリンに移る。







★愛人シャトーブリアン夫人/フランソワーズ・ド・フォワ 前妻クロード王妃の女官
1495-1537 42歳没 
ロートレック子爵ジャン・ド・フォワの娘/シャトーブリアン伯爵ジャン・ド・ラヴァルの妻


フランソワの最初の愛人。10年近く寵愛を受けた。大柄で浅黒い肌に黒髪の美女でラテン語とイタリア語を話し詩を書く才女であった。夫は好色なフランソワ1世の手がつくことを恐れて妻を隠していたが、美貌の噂を聞いたフランソワ1世が宮廷に呼び出した。気が強く押しも強く要求の多い女性でもあった。政治的な場にほとんど姿を現さなかったが、フォワ家を嫌うフランソワ1世の母ルイーズは激怒したという。フランソワの寵愛は次第にエタンプ夫人に移る。シャトーブリアン夫人が新しい愛人を「けばけばしい小娘」と中傷したことから王が激怒、シャトーブリアン夫人を「獰猛な動物」と呼び愛の言葉を刻んだ金製品の返還を命じた。彼女はそれを火の中に投げ入れ金塊にして返した。王は金塊を持参した使者を追い返した。王の寵愛を失ったシャトーブリアン夫人は宮廷を去り、夫の地所シャトーブリアンに戻った。









★愛人エタンプ夫人/アンヌ・ド・ピスルー・デイリー フランソワ1世の母の女官
1508-1575 67歳没
デイリーの古い貴族ギョーム・ド・ピルスーの娘
パンティエーヴル伯爵ジャン4世・ド・ブロスと結婚してエタンプ公爵夫人


華やかな金髪に青い瞳で、天真爛漫な明るさが魅力だった。
朗らかで可愛らしく機転がきき、フランソワが亡くなるまで彼の寵愛を独占し続けた。フランソワの治世最後の10年間はアンヌがかなりの影響力を行使した。彼女は王太子アンリ2世の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエと犬猿の仲でディアーヌを冷遇したが、フランソワが亡くなるとエタンプ夫人はすぐに宮廷から追放された。









★愛人ブールデジエール夫人/マリー・ゴーダン La Belle Babou
1495-1580 85歳没


ロワール地方のブールデジエール城はフランソワ1世がマリーに贈った城である。







★愛人カナプレ夫人/マリー・ダシニー
1502-1558 56歳没


フランソワ好みの肌の浅黒い、ふっくらとした、瞳のキラキラした美人だった。



■父 アングレーム伯シャルル・ドレルアン
1459-1496 37歳没




■母 サヴォイア公女ルイーズ・ド・サヴォワ
1476-1531 55歳没

*未亡人となり、息子フランソワ1世を王座に就け、自らも王太后となった後、男漁りを始める。
『ヴィネガーの栓を抜く女』『フルートの立て直し屋』『パイプの通し屋』というあだ名がついた。
フランソワ1世の愛人シャトーブリアン夫人としばしば男を取り合う形となり、反目する。

*38歳の時24歳の妻子あるブルボン公爵シャルル3世にのめり込む。
シャルルをめぐってライバルであった実娘マルグリットをクズ男アランソン公爵シャルル4世と結婚させて追いやり、シャルルを大元帥にしてやり、シャルルが妻と別れて自分と結婚することを夢見た。
7年後シャルルは妻を亡くしたが、ルイーズとは一緒にならなかった。
激怒したルイーズは、シャルルの全財産を没収した。








●マルグリット→孫は国王アンリ4世
夫20歳&妻17歳でアランソン公爵シャルル4世と結婚、33歳で死別、
夫23歳&妻35歳でナバラ王アンリ・ダルブレと再婚、子供1人生み、57歳没

●フランソワ1世
次代国王


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当時の証言

マルグリットには勇ましい衣装がよく似合う。
アドニスのような顔には惑わされるばかりで、男か女か判断できない。
魅力的な少年にも美しい貴婦人にもなれる人。
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◆国王フランソワ1世 先代ルイ12世のイトコの子
1494-1547 21歳即位 53歳没






■前妻 クロード・ド・フランス フランス国王ルイ12世の娘・死別
1499-1524 15歳没 25歳没

クロードの結婚生活は絶え間ない妊娠と夫の多くの愛人たちのため心が安まることはなかった。








■後妻 エレオノール・ドートリッシュ←レオノール・デ・アウストリア
スペイン女王フアナの娘
1498-1588 32歳結婚 90歳没

*20歳でポルトガル国王マヌエル1世の3/3番目の妻・死別、32歳でフランソワ1世と再婚








●前妻の子 フランソワ  王太子
●前妻の子 アンリ2世  次代国王

●前妻の子 マドレーヌ  スコットランド王ジェームズ5世の前妻・本人死別
●前妻の子 マルグリット サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚




ルイ12世に嫡男がなかったため、イトコの子であるフランソワがルイ12世の娘と結婚して即位する。
ヴァロワ・アングレーム朝の始まりである。

王は2メートルを超える長身で恰幅が良く、希代の女たらしだった。
好奇心旺盛・自信満々・大胆不敵・豪華絢爛、死因は梅毒だったといわれる。

フランス・ルネッサンスの父といわれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあり、晩年のダ・ヴィンチをフランスに招きダ・ヴィンチはフランスで亡くなっている。

神聖ローマ帝国皇帝であるオーストリアのマクシミリアン1世の死にともなう次代皇帝選挙は、フランソワとマクシミリアン1世の息子であるスペインのカルロス1世との一騎打ちとなったが、フランソワが敗れる。
両国の間で戦争が始まり、王はスペインの捕虜となってしまう。
フランス宮廷は右往左往の大騒ぎだったが、王は未亡人となりスペインに帰ってきていたカルロス1世の姉エレオノールを口説いていた。
エレオノールも乗り気で結婚が決まり、夫妻がフランスに戻る代わりに、王の長男フランソワと次男アンリが代わりの人質としてスペインに送られる。


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当時の証言

王は大変な女たらしで、躊躇なく他人の庭に押し入り、あちこちの水源から水を飲む。
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◆国王ルイ12世
先代シャルル8世のイトコ
1462-1515 36歳即位 53歳没

*頭脳明晰・冷静沈着・用意周到、長身で美男であった。
しかし即位してすぐにしたことは、妻と別れて再婚することであった。




■父 オルレアン公シャルル 結婚3回
1394-1465 71歳没




■母 クレーフェ・マルク公女マリー・ド・クレーヴ 3/3番目の妻
1426-1487 61歳没

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■最初の妻 ジャンヌ・ド・フランス 離婚●実子ナシ 
国王ルイ11世の娘
1464-1505 12歳結婚 41歳没

「美しい心と獣の容貌」と言われたジャンヌは「足萎えのジャンヌ」とも呼ばれた。
結婚後25年たってもルイ12世とジャンヌの間には子供がなく
ルイ12世は教皇に頼み込んでジャンヌとの結婚を無効にした。
ジャンヌは修道院に入り、失意のうちに亡くなった。







■2番目の妻 アンヌ・ド・ブルターニュ 死別 
国王シャルル8世の未亡人
1477-1514 37歳没

*14歳で国王シャルル8世と結婚死別、22歳で国王ルイ12世と再婚

足が悪く不細工と言われながら二人の国王の王妃となった珍しい人物である。







■3番目の妻 マリー・ダングルテール←メアリー・テューダー 34歳年下●実子ナシ
イギリス国王ヘンリー7世の娘
1496-1533 37歳没

*18歳で国王ルイ12世と結婚死別、
19歳でサフォーク公爵チャールズ・ブランドンと再婚

メアリーはサフォーク公爵チャールズ・ブランドン恋愛中であったが
兄ヘンリー8世からフランス国王ルイ12世と結婚させられる。
彼女はルイ12世の死後は好きな人と結婚させてくれるようヘンリーに約束をさせて嫁いだ。
メアリの祖父ほどの年齢だったルイ12世は3ヵ月後に死去。
ヘンリーは約束を守る気などなく次の嫁ぎ先を考えていたが
ヘンリーのライバル新国王フランソワ1世が
フランスでメアリーとチャールズ・ブランドンを結婚させてしまう。
ヘンリーは怒り狂い2人が帰国することを禁ずるが莫大な金を支払って帰国がかなう。







すべて2番目の妻の子

●クロード 
国王フランソワ1世の前妻・本人死別

●ルネ 
フェラーラ公エルコレ2世と結婚




●クロード 国王フランソワ1世の前妻 本人死亡
1499-1524 25歳没







●ルネ 
1510-1574 64歳没
フェラーラ公エルコレ2世と結婚
1508-1559 51歳没




◆国王シャルル8世●実子ナシ
先代ルイ11世の子
1470-1498 13歳即位 28歳没

*鴨居に頭をぶつけて死亡。

父王にとって唯一の嫡男だったので超過保護に育つ。
過保護と言っても溺愛ではなく、
王位継承者として死なないようにほどんど監禁されて育つ。
父王は医師を常駐、兵士に厳重に守らせ、毎日詳細な報告書を提出させたが、
息子に2回しか会いに行かなかった。
そのため王は世間知らずで夢見がちな性格に育つ。






★元婚約者 マルグリット・ドートリッシュ←マルガレーテ・フォン・エスターライヒ
オーストリア皇帝マクシミリアン1世の娘
1480-1530 50歳没







■妻 アンヌ・ド・ブルターニュ ブルターニュ女公
ブルターニュ公フランソワ2世の娘
1477-1514 37歳没

*14歳で国王シャルル8世と結婚死別、22歳で国王ルイ12世と再婚





ルイ11世は王子シャルル8世の嫁にと
オーストリア皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリットを拉致した。
シャルルは彼女より一回り年上の病弱で器量も悪い王子だった。
フランスでは虚弱体質の王家にやっと元気旺盛なマルグリットの血が注がれると
彼女が早く適齢期になるのを楽しみにしていた。
フランス式の教育を受け愛らしく聡明なまわりを明るくさせるような少女に育った。
フランス生活も10年となった頃、
父マクシミリアン1世が敵国フランスを東西から挟むために
ブルターニュ女公アンヌと再婚することを決意した。
慌てたフランスのシャルル王子はブルターニュ公国を攻撃しアンヌを奪って妃とした。
こうなればシャルルは婚約者マルグリットをフランスから追い出すしかなかった。
人々は愛らしく聡明なマルグリットの代わりに不細工なアンヌを娶れねばならないとは
シャルルも気の毒なことだと嘆くと同時にマルグリットとの別れを心から惜しんだ。
こうしてマルグリットは幸運にも故郷に戻ることができた。

シャルルは鴨居に頭を打ちつけ頭蓋骨骨折で亡くなった。
シャルルの死後アンヌ王妃はルイ12世の2番目の妻となった。
足が悪く不細工と言われながら二人の国王の王妃となった珍しい人物である。

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